横濱煉瓦誕生の歴史
横浜生まれのしっとり濃厚チョコレート菓子『横濱煉瓦(よこはまれんが)』。
新感覚の“フォンダンショコラ”とも表現される『横濱煉瓦』は、2002年の発売からおかげさまで20年以上が経ちました。
今では霧笛楼を代表するベストセラーとして知られるようになりましたが、その歴史はまだ浅く、当店チョコレート菓子としては、1980年代のトリュフチョコレート、1990年代の『モトマチの石畳』に次いで、3番手としての登場となります。
霧笛楼創設者 鈴木治八の想いと、レストラン発祥の洋菓子店ならではのこだわりを交えつつ、『横濱煉瓦』誕生までの道のりをご紹介いたします。
横浜文化を店づくりに活かす
霧笛楼創設者 鈴木治八の想い
横浜文化を
店づくりに活かす
霧笛楼創設者
鈴木治八の想い
鈴音創業者 鈴木音吉の長男 治八が、終戦後、元町に社屋を移したことからその歴史が始まります。
開港後の元町は、山手の外国人居留地と山下町外国商館を結ぶ通い路として栄え、西洋と日本が入り混じる文化の発信地となりました。
鈴音創業者 鈴木音吉の長男 治八が、終戦後、元町に社屋を移したことからその歴史が始まります。
開港後の元町は、山手の外国人居留地と山下町外国商館を結ぶ通い路として栄え、西洋と日本が入り混じる文化の発信地となりました。
ガス灯、ビール、アイスクリーム、新聞、鉄道までもが横浜生まれ。
外国から持ち込まれた文化を日本流にアレンジし、時代を開拓した先人への敬意と、「横浜らしさ」を後世に繋ぐ使命感を抱き、1981年、仏蘭西料亭霧笛楼を開店します。
ブランドのメインコンセプトに「和魂洋才」を掲げ、横浜の文化遺産を活かした店づくりを目指しました。
横浜文化を店づくりに活かす
霧笛楼創設者 鈴木治八の想い
横浜文化を
店づくりに活かす
霧笛楼創設者
鈴木治八の想い
鈴音創業者 鈴木音吉の長男 治八が、終戦後、元町に社屋を移したことからその歴史が始まります。
開港後の元町は、山手の外国人居留地と山下町外国商館を結ぶ通い路として栄え、西洋と日本が入り混じる文化の発信地となりました。
ガス灯、ビール、アイスクリーム、新聞、鉄道までもが横浜生まれ。
外国から持ち込まれた文化を日本流にアレンジし、時代を開拓した先人への敬意と、「横浜らしさ」を後世に繋ぐ使命感を抱き、1981年、仏蘭西料亭霧笛楼を開店します。
ブランドのメインコンセプトに「和魂洋才」を掲げ、横浜の文化遺産を活かした店づくりを目指しました。
文化遺産を活かした商品づくり
幻の第一号は「レンガコロッケ」⁉
当時は母体の鶏卵卸業が好調で、県内に複数の惣菜販売店を展開していました。新入社員だった今平茂(後の霧笛楼二代目総料理長)は、ある日治八から、惣菜メニューの「レンガコロッケ」の試作を命じられます。
レンガコロッケとはいったいどのような代物なのか…?
当時はまだインターネットも普及していない、職人の勘と経験だけが頼りの時代。厨房仕事の合間を縫って試作を重ね、レンガ形を模したコロッケの製造に取り組みますが、成形したコロッケタネは油に入れると膨らんで、見事な俵型に…。膨らまないコロッケを作ることは想像以上に難しく、その後も試行錯誤を繰り返しますが、遂にレンガコロッケが商品化されることはありませんでした。
「横浜の文化遺産を活かした商品づくり」記念すべき第一号は、残念ながら失敗に終わりますが、この失敗が後の『横濱煉瓦』誕生へと繋がっていくのです。
文化遺産を
活かした商品づくり
幻の第一号は
「レンガコロッケ」⁉
当時は母体の鶏卵卸業が好調で、県内に複数の惣菜販売店を展開していました。新入社員だった今平茂(後の霧笛楼二代目総料理長)は、ある日治八から、惣菜メニューの「レンガコロッケ」の試作を命じられます。
レンガコロッケとはいったいどのような代物なのか…?
当時はまだインターネットも普及していない、職人の勘と経験だけが頼りの時代。厨房仕事の合間を縫って試作を重ね、レンガ形を模したコロッケの製造に取り組みますが、成形したコロッケタネは油に入れると膨らんで、見事な俵型に…。膨らまないコロッケを作ることは想像以上に難しく、その後も試行錯誤を繰り返しますが、遂にレンガコロッケが商品化されることはありませんでした。
「横浜の文化遺産を活かした商品づくり」記念すべき第一号は、残念ながら失敗に終わりますが、この失敗が後の『横濱煉瓦』誕生へと繋がっていくのです。
横浜の西洋建築発展を支えた
アルフレッド・ジェラール
『横濱煉瓦』商品名の由来は、フランス人実業家アルフレッド・ジェラールが山手に建設した、日本初の西洋瓦工場の存在にあります。
彼の手掛ける西洋瓦は、後に模倣瓦が登場するほど評判になり、製品にはすべてオリジナルの証である刻印が施されていました。そのデザインが美しく洗練されていたことから、無孔レンガの月桂樹刻印を『横濱煉瓦』のパッケージデザインに採用しています。
ジェラールとそのレンガ工場が霧笛楼に与えた影響はこれに留まらず、後に『横濱仏蘭西瓦』、さらに名を冠した『ジェラールビール』へと引き継がれ、現在も当店を訪れるお客様に親しまれています。
また、レストラン隣接のカフェ入口には「ジェラール瓦」を展示、奥に進むと丘陵地帯から流れる山手の湧水をご覧いただくことができ、当時の歴史の一端を垣間見ることができます。(※飲料はできません)
横浜の
西洋建築発展を支えた
アルフレッド・
ジェラール
『横濱煉瓦』商品名の由来は、フランス人実業家アルフレッド・ジェラールが山手に建設した、日本初の西洋瓦工場の存在にあります。
彼の手掛ける西洋瓦は、後に模倣瓦が登場するほど評判になり、製品にはすべてオリジナルの証である刻印が施されていました。そのデザインが美しく洗練されていたことから、無孔レンガの月桂樹刻印を『横濱煉瓦』のパッケージデザインに採用しています。
ジェラールとそのレンガ工場が霧笛楼に与えた影響はこれに留まらず、後に『横濱仏蘭西瓦』、さらに名を冠した『ジェラールビール』へと引き継がれ、現在も当店を訪れるお客様に親しまれています。
また、レストラン隣接のカフェ入口には「ジェラール瓦」を展示、奥に進むと丘陵地帯から流れる山手の湧水をご覧いただくことができ、当時の歴史の一端を垣間見ることができます。(※飲料はできません)
レストランのデセールをご家庭で
仏蘭西菓子部門の設立
霧笛楼は開店以来、本場フランスの調理技法を尊重しながら、現代的な軽やかさを取り入れた「オリジナルの横濱フレンチ」を提供してまいりました。
デザートにおいては、お客様の目の前で調理するクレープシュゼットやタルト、プティケーキが人気で、特に、レアな焼き上がりの濃厚ガトーショコラやフォンダンショコラは多くのお客様に喜ばれ、やがて「デザートを持ち帰りたい」とのご要望が寄せられるようになりました。
菓子部門発足には、治八と共にレストラン開業に奔走した、長男の信晴が陣頭指揮を執りました。新たに製菓専用の工場を設け、まずは季節のタルトや焼き菓子から、次第にムース、チョコレート、レトルト商品へとラインナップを拡充し、中でも、食後のカフェに添える小菓子の生チョコレートを持ち帰り用にして販売した『モトマチの石畳』は、大変ご好評をいただきました。
現在仏蘭西菓子部門は、神奈川県内に複数の販売店を展開し、通販サイトも開設、皆様のご支持を賜り、全国各地からご注文をいただけるまでになりました。
レストランの
デセールをご家庭で
仏蘭西菓子部門の設立
霧笛楼は開店以来、本場フランスの調理技法を尊重しながら、現代的な軽やかさを取り入れた「オリジナルの横濱フレンチ」を提供してまいりました。
デザートにおいては、お客様の目の前で調理するクレープシュゼットやタルト、プティケーキが人気で、特に、レアな焼き上がりの濃厚ガトーショコラやフォンダンショコラは多くのお客様に喜ばれ、やがて「デザートを持ち帰りたい」とのご要望が寄せられるようになりました。
菓子部門発足には、治八と共にレストラン開業に奔走した、長男の信晴が陣頭指揮を執りました。新たに製菓専用の工場を設け、まずは季節のタルトや焼き菓子から、次第にムース、チョコレート、レトルト商品へとラインナップを拡充し、中でも、食後のカフェに添える小菓子の生チョコレートを持ち帰り用にして販売した『モトマチの石畳』は、大変ご好評をいただきました。
現在仏蘭西菓子部門は、神奈川県内に複数の販売店を展開し、通販サイトも開設、皆様のご支持を賜り、全国各地からご注文をいただけるまでになりました。
美味しさの秘密はクルミソース
2002年『横濱煉瓦』誕生
2000年代に入り、ようやくレストランデザートを基にしたチョコレートケーキの開発が始まります。
レストラン発祥の洋菓子店として目指したこと。それは、熟練したパティシエが提供する、絶妙な焼き加減のデザートと同等のしっとり感、かつ、常温で持ち帰り可能なチョコレートケーキをつくること。このプロジェクトには、先に販売されていた生チョコレート『モトマチの石畳』で浮かび上がった「温度管理」への課題と、新たなヒット商品誕生への期待も込められていました。
焼き時間の微調整やチョコレートの含有量、材料の見直しを繰り返し、遂にカギとなるクルミペースト入りチョコレートソースの開発に成功します。最大の難関だった食感の向上に加え、チョコレートの風味は一段と豊かに、個性的かつ印象的な味の深みも生まれました。
独自の製造工程を加えた後、焼き立てのケーキ生地が熱いうちにクルミソースを染み込ませることで、レストランデザートに匹敵する、しっとり濃厚なチョコレートケーキが完成しました。
形状はかつて断念した「レンガコロッケ」への再挑戦と、創設者治八のビジョンでもあった、重厚でシンボリックな横浜の「レンガ」を模倣し、横浜土産の代名詞となるよう、『横濱煉瓦』と名付けました。
そして、誕生から20年以上が経過した現在も、霧笛楼のベストセラー商品として多くのお客様からご支持頂いています。
美味しさの
秘密はクルミソース
2002年『横濱煉瓦』
誕生
2000年代に入り、ようやくレストランデザートを基にしたチョコレートケーキの開発が始まります。
レストラン発祥の洋菓子店として目指したこと。それは、熟練したパティシエが提供する、絶妙な焼き加減のデザートと同等のしっとり感、かつ、常温で持ち帰り可能なチョコレートケーキをつくること。このプロジェクトには、先に販売されていた生チョコレート『モトマチの石畳』で浮かび上がった「温度管理」への課題と、新たなヒット商品誕生への期待も込められていました。
焼き時間の微調整やチョコレートの含有量、材料の見直しを繰り返し、遂にカギとなるクルミペースト入りチョコレートソースの開発に成功します。最大の難関だった食感の向上に加え、チョコレートの風味は一段と豊かに、個性的かつ印象的な味の深みも生まれました。
独自の製造工程を加えた後、焼き立てのケーキ生地が熱いうちにクルミソースを染み込ませることで、レストランデザートに匹敵する、しっとり濃厚なチョコレートケーキが完成しました。
形状はかつて断念した「レンガコロッケ」への再挑戦と、創設者治八のビジョンでもあった、重厚でシンボリックな横浜の「レンガ」を模倣し、横浜土産の代名詞となるよう、『横濱煉瓦』と名付けました。
そして、誕生から20年以上が経過した現在も、霧笛楼のベストセラー商品として多くのお客様からご支持頂いています。